暗記と理解、どっちが先?
パパ塾挑戦中、ウクレレ大好きレレパパです。
勉強には「暗記」と「理解」があるね。
※本記事の作成時点:長女(小3)、次女(年長)
勉強をして新しい知識を身に付けることに関して、「暗記」と「理解」という二つの概念があります。
これらの「暗記」と「理解」は、お互いにどのような関係にあるのでしょうか?あるいは、どちらが先なのか?
これに対する僕の考えを紹介します。
定義
まず、「暗記」とは?「理解」とは?の定義をします。
暗記:そうなる理由などは気にせず、とりあえず記憶すること
理解:そうなる理由を含めて、しっかりと腹落ちした状態になること
「暗記」「理解」が実現する条件
では、「暗記」と「理解」は、どのような条件が揃ったときに実現するのでしょうか?
僕は、こう思っています。
暗記の実現条件:その情報を記憶すること
理解の実現条件:記憶している情報を、肯定的に内面化すること
「肯定的に内面化する」とは、「あー、確かにそうだよね」と納得して、自分の血肉になること。
つまり、物事を理解するためには、その物事を記憶していることが前提になります。
当たり前ですが、知らないことは理解できない、ということです。
最初に「暗記」優先の勉強をすることが大切
ということは、何か新しいことを勉強する際には、まずは「暗記」から入った方が効率が良いことになります。
まずは理由とかは気にせずに先に「暗記」をしてしまい、その後で、「暗記」したことを血肉化していくべき。
これとは逆に、いきなり「理解」しようとすると、勉強した1時間後には全部すっかり忘れている、なんて事にもなりかねません。
しれっと論理を飛躍……
さて、実は、さきほど僕はしれっと論理を飛躍させていました。
それは、これ。
理解の実現条件:記憶している情報を、肯定的に内面化すること
知識を「暗記」して記憶したからといって、その知識は必ず肯定的に内面化されるに至るのでしょうか?
この「暗記」から「理解」への移行のプロセスについて、説得力が足りません。
そこで、このような説明を追加します。
「得意」と「好き」
その教科なり単元なりに対する「得意」という気持ちと「好き」という気持ちに着目します。
「得意」なものは、自然と「好き」になっていくものです。
逆に、「苦手」なものは自然と「嫌い」になっていくことも経験上明らかです。
「暗記」すると、テストの点が良くなる
「暗記」をすると、とりあえずテストで点数を取れるようになります。
もちろん難問には対応できないかもしれませんが、とりあえずは点数が良くなります。
授業にも遅れずについていけるようになります。
つまり、「暗記」をすると、その教科なり単元なりに対して「得意」という気持ちが生まれてきます。
「得意」になると「好き」になる
繰り返しになりますが、「得意」なことは「好き」になるのが普通です。
つまり、「暗記」によって「得意」になった教科なり単元なりに対して「好き」という気持ちが生まれてきます。
こうなると強いですね。
「好き」になると、肯定的に内面化されやすくなる
「好き」なことは、折に触れて思い出すようになります。
何か関連するようなことを見聞きしたときに、その「好き」な知識が頭に浮かぶようになります。
例えば、日本の城(熊本城など)が好きな人は、テレビでドイツの城(ホーエンツォレルン城など)を見たときに、熊本城を思い出して比較したりします。
こういったことを繰り返しているうちに、その「好き」な知識を深く「理解」するようになっていきます。
パパ塾でも、まずは記憶させることから
というわけで、僕は娘たちに対するパパ塾では、まずは「暗記」させることから始めています。
もちろん「暗記」で終わってはいけないのですが、「暗記」をすれば、自然と「得意」「好き」となっていって、最終的には「理解」に繋がると信じています。
急に真面目になって、どうした?w
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